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大谷石とは何か。宇都宮への旅

地下迷宮の秘密を探る旅

大谷資料館採石場跡地の地下空間

カネイリヤマ採石場跡地(大谷資料館)とは

大谷資料館脇の削られた岩山

カネイリヤマ採石場跡地は、1919年(大正8年)から1986年(昭和61年)までの約70年間、 大谷石を採石してできた巨大な地下空間です。
現在では一般に「大谷資料館」と呼ばれていますが、採石の歴史などをパネルで説明した、いわゆる小規模な「資料館」が併設されてはいるものの、博物館のような建物があるわけではなく、採石場跡の地下空間そのものが資料館として位置付けられているようです。
一部非公開や立入禁止エリアもありますが、細いトンネルが続く坑道とは違い、かなりの場所を歩いて見学可能で、他に体験することがない暗くてヒンヤリとした地下神殿の探検気分を堪能できます。

坑内の気温は一年を通して平均8℃。広さは約2万平方メートル(140m×150m)。深さは平均30m、最も深いところで60m。東京ドーム全体は入りませんが、球場の客席を入れないグラウンド部分で比較すると、1.7倍ほどの広さがあります。
戦時中は陸軍の地下秘密倉庫や戦闘機の製造軍需工場に、戦後は政府米の貯蔵庫として使用されましたが、1979年、大谷資料館がオープンし地下採石場が一般公開されて以降は、コンサートや美術展、また映画やドラマ、CM撮影などにも利用されています。訪問時には残念ながら公開されていませんでしたが、結婚式が挙げられる教会エリアもあるそうです。

2018年には「地下迷宮の秘密を探る旅〜大谷石文化が息づくまち宇都宮〜」として文化庁から※日本遺産に認定されました。

※日本遺産とは
文化庁が、「地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援」する制度。

いざ地下空間へ

資料館の受付で入場料を払いしばらく階段を降りていくと、目の前にパッと大空間が広がります。初めて目にする異様な光景なので、ゆっくり立ち止まって写真でも撮りたいところですが、出入口用の通路のため立ち止まるのは難しく、地の底を目指して更に階段を下ります。

電球に照らされた通路を進むと、巨大な空間とともに目を引くのは、何本もの野太く荒々しく削られた柱です。1本の柱が、中層のビル1棟分くらいはありそうです。これらは地上を支えるため採石せずに残されている石柱だそうです。崩れないのだろうか、降った雨はどうなるのだろうなどと心配になりましたが、地下空間はまだまだ奥へと続いていきます。

途中、トラックがすれ違えそうな幅がある坂道の先に、洞窟の出口のように外の光が差し込んでいるところがありました。石の搬出用道路だったのか、採石ついでに道にしてしまったのか、それにしても随分と幅広の道が地下から地上まで続いています。
頭上には、先が見えないくらい深さの竪穴がある箇所もありました。これらの穴は、地上のどの辺りに当るのか確認するために掘られたということです。
ほとんどが大谷石だと思いますが、壁面の表面には、削った跡が生々しく残っています。1960年(昭和35年)頃まではツルハシによる手掘りで、18×30×90cmの「六十石(ろくとういし)」と呼ばれるサイズの石1本掘るのに、4000回も腕を振るったと言われているそうなのですが、野球のグランドが入るほどの深さ約30mの空間です。いったいどれだけの労力が必要だったのか…想像をはるかに超えて気を失いそうです。

大谷石の層は、地下200m~300mの深さまであると言われています。地層的に古い場所で採れる石の方が圧縮されて固く良質な石が採れるのかと思っていましたが、それは全くの見当違いでした。比較的新しい上下部層と呼ばれる厚み30mほどの層で採れる石が石材として優良で、最も多く採石されているのは、中部層と呼ばれる185m前後の厚い層。多分、前者が、建築用途としては化粧材に、後者が石塀などに使われているのではないかと思います。

坑内は、さっと見て30分。写真など撮りながら(三脚不可なので暗くて難しいですが)、ゆっくり見ながら歩いて1時間から1時間半ほどかかります。
坑内の気温は平均8℃と言いますから、夏場は外が酷暑でも冷え冷えになりそうです。

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