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なぜ茶室の戸は閉められなければならなかったのか
第4章 閉ざされた茶室空間の謎解き

茶室における結界

利休時代の結界が意味するところ

時代を整理していくと、利休は、密教が伝えられてから700年ほど、禅宗が伝えられてからでも300年ほど後となる、戦国時代生まれで安土桃山時代(1568年〜1600年)に活躍しました。古文書などの厳密な証拠を挙げることはできません。でも、これだけの時間が経っていれば、「結界」という言葉が、利休時代に、神道、仏教、密教、禅宗、それぞれの宗教宗派で違った意味で使われていたとは考えにくく、一般に共通した意味合いで使われていたと考える方が自然に思えます。
つまり、空間の境界線というシンプルな意味であり、更にもう少し含みを持った、聖域と俗域を隔てる、または密教的に、結界することで聖域を護り浄める意味でもあっただろう、ということです。

結界という名の茶道具

こうしたことから、茶の湯において、特に結界が意識されていると考えられるのは、世俗の日常世界と茶の湯の空間を物理的に隔てる茶室まわり、となるのですが、その前に、茶道具においても結界と呼ばれるものがあるようなので、ちょっと興味が湧いて調べてみました。

客畳と、亭主がお茶を点てる道具畳の境界に置かれ、客が立ち入るべきでない亭主の領域を暗に示すものとして、竹や木で組まれた仕切りのようなものを置き、それを結界と呼ぶのだそうです。言葉で表現するのが難しいですが、イメージ的には、日本庭園などで、立ち入ってはいけないところに、竹を括(くく)って渡してあるのを見たことがあると思います。その室内用の小型版といった趣で、高さも恐らく20cmほどの簡素なものです。物理的には、手で持てばすぐに動かせるのですが、これが緊張感ある空間に一度(ひとたび)置かれると、なぜか動かせそうにも越えられそうにもない心理的な壁となり、これを結界と呼んでいるのだと思います。

茶室と結界

それでは、ようやく茶室と結界についての話に入ります。
聖域と俗域の境を結ぶ結界として、最も注目すべきは茶室の出入り口となる露地(ろじ)から躙口(にじりぐち)にかけての造りです。

利休の言葉を思い出すと、まず露地に入ったところで、「妄念を捨てて、仏心を露出」しなければなりません。そして、その先には水を張った鉢(手水鉢=ちょうずばち)を中心に役石と呼ばれる3つほどの石が置かれています。客が蹲って(つくばって=かがんで)手を水で浄めることから「蹲踞(つくばい)」と呼ぶそうです。「手を浄める」=「世塵(せじん)のけがれをすすぐ」との解説があります。「世塵」とは、「世の中の煩わしい事柄。俗事。」などと辞書にありますから、仕事のこと、家庭や生活、人間関係など、自身にまつわるこの世の様々なことです。

手を浄めても、まだ茶室には入れません。俗世のチリやホコリをしっかりと落とすために、もう一つの仕掛けが待っています。躙口(にじりぐち)です。
躙口とは、「待庵に見る利休の茶の湯空間」で触れましたが、茶室に出入りするために壁の下部に開けられた60cm四方くらいの戸口です。どんなに偉い人でも、ここでは頭を下げ身をかがめないと入れません。武士は刀を持っていましたが、「大小は武士の魂」と言われる刀も、差したままでは通れないので、外の刀掛けに置いて入ります。頭を下げ、刀を置く。つまり社会的な地位や身分といった「俗世のホコリ」は外に置いて茶室に入ってください、ということです。

「にじり口は俗世間(茶室の外)と聖なる空間(茶室の中)を隔てる結界の役割をはたすものといえる。」

充分にチリやホコリを落として茶室に入ったら、いよいよ「界(さかい)」を「結ぶ」、結界します。 最後に入った客は躙口の板戸を閉めます。茶の湯空間は閉じられましたが、これでもまだ終わりではありません。掛金(かけがね)をします。掛金とは、戸が開かないようにする金物の鍵で、本来は躙口の板戸に付いていました。板戸を閉め掛金をし、聖域と俗域の境をしっかりと結びます。こうして茶室は、俗世から隔てられ、護られた特別で神聖な空間となりました。

「なぜ茶室の戸は閉められなければならなかったのか」、これで、かなりすっきりしました。ただ、もう一つ、最後に付け加えておきたいことがあります。

なぜ、掛金までする必要があったのか。

茶の湯が確立されていった時代をもう一度思い起こしてみます。
「第1章 茶の湯とは」の「茶の湯の歴史」の項を振り返ると、時は、応仁の乱に続き全国の大名が覇権を争う戦国の世へと突入します。茶の湯を嗜(たしな)む豪商と呼ばれた人たちの多くは、戦国大名に武具や鉄砲を売る武器商人。
安土桃山時代に入り、利休が茶頭として仕えた織田信長は、本能寺の変で自害へと追いやられ、その跡を継いだ豊臣秀吉が天下統一を果たします。秀吉に重用され、筆頭茶頭として政権の中枢にまで登り詰めたはずの利休でしたが、彼自身もまた切腹を命じられ自刃(じじん)を遂げます。

いつ何が起こるのか・・・安穏とはしていられない不穏な世。
それだけに、茶室の中だけは、騒がしく、血生臭く、邪気が漂うような俗世とは、しっかり切り離したい、誰もが等し並み(ひとしなみ)で平静でいられる神聖な空間として守りたい。そうした意識が、世塵を払うだけではない、より強い「結界」の表現を生んだのだと感じます。
そして、そうした世情こそが、狭く、仄暗く(ほのぐらく)、閉ざされた茶室空間の中で、亭主のもてなしと、趣深い静かな美と時間を愉しむ茶の湯のスタイルを確立させた、とも言えそうです。

せっかくの結界が破れてしまいますから、庭がきれいだからといって、戸や窓を開けないようお願いしますね。

参考文献および参考Webサイト

・別冊太陽「千利休」(2008)平凡社・別冊宝島「千利休」(2013)宝島社・前久夫(2002)「すぐわかる茶室の見かた」東京美術・谷端昭夫「茶道の歴史」(2007)淡交社
・表千家不審菴Webサイト・神社本庁Webサイト・ウィキペディア・ウィキメディア・コトバンク(朝日新聞社、VOYAGE MARKETING)

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